30代で妻を亡くしてから10年、気持ちの変化
死別から10年たち、どのような気持ちの経過をたどったかを書いてみようと思いました。
自分の場合は、「ショック」→「罪悪感」「寂しさ」「前向きな気持ち」というプロセスでした。
今でも前向きな中でも罪悪感はあるし、寂しさもあります。
それらは無くならないと思いますし、それでよいとも感じます。
そんな流れを少し書いてみます。
死別後のおカネ(生命保険)の重みを感じた件
妻を亡くして得た一番のお金は生命保険の死亡保障です。
大した金額ではないものの、このお金を使い始めてから、このお金が「妻の命の対価」のような気がしてきたのです。
お金が減っていくことに対して罪悪感を感じました。
本来は、生き残った方が生活を再建するためのおカネです。
使って無くなってしまったって良いはずなのに…、です。
そんなハナシ。
自分の死生観を見つめ、いま幸せになる
わたしは、死んだ者は魂になってあの世という世界に行くと考えてます。
「あの世」がどういう世界なのかは、もちろん、分かりません。
特殊な知覚する能力(霊能力や霊感)とかもありませんので、ただ「信じる」だけです。
結局はあの世の証明はできません。
どんな世界を信じているかがあるだけだと考えます。
そんなハナシ。
死別後は自分の身体のケアを欠かさないこと
先ほども書いたように、この時期、体には自律神経の乱れや免疫力の低下などが起こります。
放っておくと自分自身が大病を起こしてしまうかもしれないし、そもそも日常生活の質が低下するので、余計に心も元気が出づらくなります。
体からくる不調で心も元気が落ちるのは何とか食い止めたいものです。
死別の悲しみを否定しない
死別の悲しみを無かったことにしようとしたり、なるべく早く元に戻ろうとしたり、は危険のサインです。
悲しみは確実にそこに存在しているし、もう元には戻れないのですから…。
悲しみましょう。
哀しみましょう。
苦しみましょう。
(イヤだけど)それを引き受けましょう。
家族の死別に対する心構えができている人はいない
いろいろな死別のパターンがありますが、共通するのは「死別は苦痛だ」ということです。
妻が亡くなった時、私は、自分の半身が無くなった気がしました。
よく「胸に穴が開いたような…」という表現がありますが、本当に空虚な感覚なのです。
死別を経てぼくの天国観はこうなった
死別で自分の思想が大きく変わる、ということはありませんでした。
やっぱり自分は自分のままです。
でも、例えば子供が生まれて親になると以前の自分とはどこか変わるように、死別を経て変わった面もあります。
そんな話を書きます。