離婚の父子家庭と死別の父子家庭の“母親”の違い

離婚と死別では母親に対して3つの違いがある

離婚も死別も同じく「子育てを頑張るひとり親」です。
大変さも嬉しさもほとんど同じでしょう。
ほぼ一緒くたでOKです。

でも、それでも何かは違う部分はあります。
その何が違うのかを考えると「母親(自分から見ると妻)に対する想いや扱いが違う」と感じます

パートナーだった妻をどう意識しているか。
子供に妻をどう伝えるか。
子供たちは母親をどう感じているか。

そんな違いを3つ書いてみます。

母親のポジション

死別の場合は(これは“私の場合は”と思ってください、以下同じ)、母親はいないけどいます。
肉体的には存在しないけど魂は一緒にあって、いつでも家族を形成している感覚です
イメージとしては単身赴任しているお父さんみたいなもので、物理的存在感はないけど精神的には確かに「いる」のです。
自分たちの領域にそのまま透明な母親がいる感覚です。

一方、離婚の場合は、母親の存在は「自分たちの領域にはいない」気がします
もしくは、いなくても済むように家族を形成している、というか。
離婚後に母子に接点がない場合はとくに、母親を切り離して家族が成り立っているでしょう。
また、子と母のつながりが離婚後もあれば、主たる自分の領域の外に「母子だけつながる場所」が飛び地のように存在するイメージでしょうか。
自分(父親)にとってはそこは無関係な場所で、子供だけが両方を行き来できる変則的な家族領域と言えるでしょう。

このように、離婚と死別では母親のポジションに違いがある気がします。

肉体があるかないか

死別の場合は、どうしたって母親はもうこの世には存在していないので、母親が身近にいないことにあきらめがつきます
悲しさや寂しさは募るかもしれませんが、会える可能性はゼロなので、気持ちも切り替えやすいと言えるでしょう。
ただしどうあがいたって「ゼロ」である苦しさや切なさはありますね。

一方、離婚の場合は、母親はどこかにいるので、自分の身近にいないという想いがくすぶり易い気がします。
とくに会えない状態だと、モヤモヤした気持ちが残りやすいでしょう。
ただ、会える可能性がいつでも残されているので、ある意味「希望」はあり続けます。
母子が定期的に会っていれば、母親への思慕は解消されやすいので、変則的ですが両親いるのと変わらない心の状況が作れるかもしれません。

父と子が母(妻)をどう見るか

死別の場合は、父子で同じ方向を向きやすいです。
子は母喪失・父は妻喪失で、共に「大事な人を失った同士」と言えなくありません。
共に同じつらさを抱えている感覚を共有することができます。

一方、離婚の場合は、父と子で母(妻)へ向き合い方に差が生まれやすいでしょう
夫婦は契約解消で他人になりますが、子供から見れば両親はずっと一生涯親です。
父親は離婚に納得でも子供は不満、かもしれません。
父子関係は良好で、なおかつ母子の連絡もあって母子関係も健全だとしても、夫婦関係は健全にはなれないでしょう。

まとめ

私は死別でシングルファーザーをしていますが、死別にもいろいろなケースがありますから私が代表例ではありません。
また離婚もしたことがありませんので、離婚の方たちの正確なことは分かりません。
これまで書いたことは完全に独断と私見ですのでご了承ください。

ウチの子供たちは母親のことをほとんど知りません。
死別時、長女でさえ6歳で、ほんのり記憶にある程度らしいです。
とは言え私にとっては、生きている頃の妻(母親)の思い出をかろうじて語り合える存在です。

「お母さんはどんな人だったか?」
子供に時々聞かれます。

死人に口なしじゃないですが(苦笑)、妻は何も言えませんので私の独断で伝えています。
妻は穏やかな人でしたので、「穏やかな人だったよ」とはよく言っています。
あとは「テスト前にはお腹が痛くなっていたそうだ」とか「高校は女子高だった」とかその時々にエピソードを話すようにしています。
そして「お父さんもお母さんがいなくて寂しいよ」と。
今でも妻も一緒に生きていることを何となく伝えていきたいと考えています。
(※これはこれで難しい面もあり。魂的には一緒なんだけど、死んだ人をさもいるかのように扱って現実感覚をなくしてはいけないとも思うので…。)

子供にどうやってお母さんを伝えていくか…。
こんなことを思いながら日々過ごしています。

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