家族の死別に対する心構えができている人はいない

死にゆく人をみる機会

私は医師のように臨終と常に接点があるわけではありません。
しかしそんな鍼灸師の私でも、高齢者や難病の患者さんへの施術(とくに訪問)で、死を考えさせられる人とも出会います

私の中で大きな影響を及ぼしたのは、筋萎縮性側索硬化症(ALS)だったAさん(70代男性)です。
動く部分を少しでも長くしたい、そして少しずつ利かなくなっていく体をほぐすという目的で、訪問施術をしていました。

理知的で記憶力もトーク力もずば抜けていたAさんとは、本当によくお話しさせていただきました(施術しながら)。
戦前から戦中の暮らしの話や街の様子、時事ネタに関する批評など、Aさんとのおしゃべりはとても楽しかったです。
ベッドで寝たきりのAさんにとっても、自分のような若い者が定期的にやってきて話を聞いてくれるのは嬉しかったようでした。
(もしくはそれも含めてAさんの「おもてなし」だったのかもしれませんが…。)

最初は坐位可能だったのが不可能になり、寝返りができていたのができなくなり、肩から先が動かせていたものが肘から先になり、手首から先になり…。
行動が制限されていくと、家族の介護の負担も増えていきます。
お小水もとってもらう、寝返りもさせてもらう、かゆいところもかいてもらう、と全ての行動に家族の手が必要になってきます。

こんな状況の中でもAさんは、少なくとも私を前には、ユーモアを失わず身体の変化を嘆かず、施術を受けていかれました。

ある時「(少しずつ機能が失われていくことや最終的には死について)怖くないですか?」と聞いたことがあります。

Aさんはちょっと難しい顔をされましたが、それでも「仕方ないことだ」と仰いました。
もちろん「あきらめ」もあったでしょうが、そのニュアンスは「受容」だったと思います。
強い人だなと強く感じました。

人生には何が起きるか分からない、ということ。
そして、死を前にしてその人の人間性が出るのだ、ということ。
そんな事を感じました。

Aさんが入院をする必要が出る頃、私の施術は終了になりました。
その後しばらくして、ご家族からお亡くなりになった旨のご連絡を頂きました。

死生学を学ぶ

もともと生老病死に関心があったので「死生学」関係の書籍は若い頃からよく読んでいました
死生学とは「死への準備教育」ですね。
死についてあらかじめ学んでおくことで、「死」にスムーズに対処できるはず、という学問ですね。
E・キューブラー・ロス先生から始まり、アルフォンス・デーケン先生などが有名です。

人は死ぬ、だから人生は尊いのだ。
死について考えることは、逆に生きることを考え直すことになる、というのはよく分かりました。

また、死そのものは決して悪いことではないということも分かります。
死は単なる出来事でしかなく、それをどう捉えるかによって良くも悪くもなるのです。

また、死をタブー視することなくオープンに語り合うことが、死の受容を安定的なものにするのです。

このように死への向き合い方については、意図せずですがそれなりに身についていたつもりでした。

家族の死別は苦痛である

そんな私が死別を経験したわけです。
今まで書いてきたような経験が役に立たなかったのかと言えば、役には立ったと思います。
その後の回復するスピードには多少違いが出たような、気がしないこともありません。
それは今思えば、です。

ただ、そもそもの死別の苦痛が軽減できたかと言えば、それはありませんでした
ダメージはしっかり受けます。

死別にもいろいろな別れがあります。
私の場合、妻は病状の悪化とともにゆっくりと死へと向かっていったので、(その間の葛藤もありましたが、)いろいろなことを話す時間もありました。
事故などの急死で死別された方とはそこが違います。
「死ぬならガンがいい」などと言う本もあるくらい、ガンでの死は「準備」ができます。
亡くなる本人も喪う家族にも、別れを受け入れる準備期間があります。
ガンでの死がベストかどうかなど分かりかねますが、少なくとも時間をかけて感情と向き合えるのは良いことだと考えます。

いろいろな死別のパターンがありますが、共通するのは「死別は苦痛だ」ということです

妻が亡くなった時、私は、自分の半身が無くなった気がしました。
よく「胸に穴が開いたような…」という表現がありますが、本当に空虚な感覚なのです。
体はありますよ、もちろん。
でも、心のカラダというか、イメージする「自分自身」の半分がガボッと無くなったようで、スースー心もとなかったことをよく覚えています。

それは死の直後の感覚で、その空虚さはキズのようなものとして、しだいに心(感情)が苦しく痛み出します。
大怪我した人が、ケガの直後は人事不省だったとしても、その後おおいにつらい思いをするのに似ています。
大事な人を失うというのは、頭ではなく心が向き合う試練です。
心のキズと闘う(もしくは時間が癒してくれるのを待つ)のは、頭の中に死の知識があろうとなかろうと、関係ありませんでした。

ただし最後には必ず傷は癒える

死別を経た今の自分に言えるのは、それでも最後には傷は癒える、ということです

いつまでも悲しみにとらわれることが亡くなった人の望みではないだろうし、自然治癒力は必ず傷を癒してくれるのです。
だから、最後は笑って今を生きるようになっていいし、なるべきだと感じます。

ツラい思いをした人だからこそ、その分成長して、より高いステージで生きなければと思います。
本当にそうです。

家族の死別に対する心構えができている人はいない”へ2件のコメント

  1. YOUsan より:

    1か月前に夫が亡くなりました。毎日すごく苦しくて寂しくていない事に怖くなってしまう時もあります。今朝、夫の夢を見たらもういないのにいるような気がして動揺してしまい早朝からなぜか外に飛び出してフラフラと歩いて混乱状態になってしまいました。子ども2人いるのでしっかりしなきゃと思って心配かけないようになるべく笑っていなきゃと思うけど今はちょっと無理です。そんな時にめしたけさんのブログを読んでいたら少しだけ希望が出てきたような気がしてコメントさせて頂きました。また不安定になるかもしれないけれど今は大丈夫です。
    ありがとうございます。
    引っ越しもしようと思っています。
    思い出ばかりだと辛いですね。

    1. めしたけ より:

      コメントありがとうございます。
      しんどい時期を過ごしてらっしゃいますね…。
      亡くなる人もツラいだろうけど、生き残る方だってツラいですよね。
      悲しい思い・ツラい思いはぜひ溜めずに吐き出してください。

      一方、
      心は悲しさやツラさに埋め尽くされていても、ぜひご自身の体は労わってあげてください。
      基本は「長めの睡眠」「適度な食事」「適度な運動」「深呼吸」「ゆっくり入浴」などありきたり健康法で良いので、小さく積み重ねてみてください。
      私も死別後の半年から1年はかなり意識して体のケアをしました。
      あの時期を乗り越えるうえで、やっていてよかったと今でも思います。

      お引っ越しも予定されているとのこと。
      YOUさんは非常なツラさを経験したから「それ以上に良いこと」がないといけません。
      そうでなければツラい思いをした甲斐がないってもんです。

      本当にささやかですけど、ぼくもYOUさんの安寧とお幸せを心からお祈りします。
      祈りや願いもまたチカラだと思いますので…。

      またいつでも近況をお教えください。

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