がんを患った妻からぼくが学んだこと

妻が教えてくれたこと

私は妻をガンで亡くしています。
病気が分かり、治療し、再発し・・・を経て少しずつ悪化していきました。
全ての過程で一番つらかったのは妻本人なのは分かっていますが、同時にこれまた全過程で、違った種類のつらさや悲しみを抱えるのが家族なのでした。

そういうガン家族の存在を「第二の患者」ともいいます。
ガン告知のとき、治療のつらいとき、再発したとき、病状が進行していくとき、残された時間が限られていると知ったとき・・・。
その時々で家族の気持ちはさまざまに揺れ動き、心身ともに疲弊していきます。
家族は患者さんと同様の感情を抱くことから「第二の患者」といわれます。

私の場合、病気と直接闘った訳ではないけど、闘病中の妻を支え、セルフケアを手伝い、大事な人を失う恐れと対峙し、仕事を続けつつも家事育児などの分担が増しました。

最後まで「治る」と信じて過ごしましたが、状況は治ることとは反対側へ進んでいく日々に、心も体もすり減りました。
本当にギリギリの生活でしたが、その中で私は学ぶことが多くありました。
妻が与えてくれた私の学ぶべきレッスンだったのでしょう。
そのことを経て大きく成長できたと信じています。
私自身も自分と闘ったと思っています。

得たものは書いてみれば当たり前の人生訓なのですが、とくに心に残っている事を書きます。

世の中は信じられる

大事な情報は隠されているので、自分で努力して見つけ出さないといけないのだ、と思っていました。
不安や恐れから世の中を信じられなくなっていたのでしょう。
まだ知られていない最新の治療・本当に良い治療・嘘のない治療・・・。
そんなものがあるのではないか、と考えていました。

しかし、そんなものはありません。
もしくはあったとしても、それ以上にまずは「普通の治療」で十分なのです。

世の中にはたしかに隠された真実のようなものもあるでしょうが、おおむね正常に機能しています。
ありふれた当たり前でいいのです
正攻法が一番です。
あまりうがった見方をしないほうが真実にたどり着きやすいと感じます。

また、症状が悪くなりジリ貧になっていくなかで、一発逆転を望むのは仕方ないことでしょう。
この状況が一気に好転する何かがないものか、と常に思ってしまいます
でも、それが「固執」になるとココロが窮屈になり、感情がうまく働かなくなる気がします。

諦めないことと固執することのバランスは難しいです、正直。

手放すことは諦めることではないのか?
こだわらないのは逃げることではないのか?

常にこういった葛藤があります。
でも、それでも固執しないほうが良い、と今では言えます。

つらさや悲しさや希望も、すべてを自分で抱えて、自分で処理しなければいけないわけではない。
世の中の「何か」にもっとゆだねてよいのだと信じています

世の中は優しい

見舞ってくれた友人、ほとんどかかわりのなかった近所の人、同じ病気を経験した人・・・、いろいろな人から温かい言葉をかけてもらいました。

ツラい気持ちや悲しい気持ちを抱えている時ほど「優しさ」に敏感になります。
温かい言葉、いたわりはもちろんのこと、同情ですら優しさの一形態だと感じます。
世の中には優しさがそこかしこに転がっていて、それをきちんとキャッチすればいいだけなのです

優しさは温かさです。
自分のココロが温かくなるのは優しさに触れたからです。

世の中は良いことばかりではないですが、それでも圧倒的に優しさに満ちていると感じます。
生きていくうえで、優しい人でありたいと強く思わされました。

最悪をイメージする

悩みやピンチのときには、最悪の想定を考えないようにしてしまいます。
治る治ると唱えて、治らないような言動は負けだ、みたいな雰囲気でした。
前向きと言えば聞こえは良いですが、逃避の一形態でした
私が(いま思えば妻も)そうでした。

結果論ではありますが、『死』を意識した話をもっともっとしておくべきだったな、と思います。
それは諦めや虚無には繋がらなかったでしょう。

まだ闘ってる最中だけど、ガンが悪化していく状況で死を語り合うのは怖いことです。本当に怖い。
できれば見たくないし触れたくないテーマ。

でも、もっと早くそこまで深められたら、じつはお互いにラクだったかな、って今では思います。

たとえ今ある大病がどうなるか分からないのだから、最良と最悪を両方イメージして話をしておくことがココロ的にも最善でしょう

まとめ

つらいとき、夜は感情がよりネガティブになりやすいです。
そしてその気分が朝の明るさとともに消えていくのは不思議なくらいです。
『明けない朝はない。』
ホントにそのとおりです。

そして、怖くてもその場所にとどまり続けることが「勇気」です
踏ん張る時間が胆を太くします。

あのような苦しい思いはもうしたくありませんが、その経験が今の自分を作っていることも事実です。
今では、人生をしっかり生きようと強く思います。
亡くなった妻のためではなく、自分のためにです。
いつか自分が死ぬときに『この人生でよかった』と思えるように生きたいです
妻の生き様を見てきてそう感じます。

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